社会人時代・独立のきっかけ

社会人時代

1983年当時珍しかった女子営業、
飛び込み中心の新規開拓部隊配属。
悲喜こもごもの30年の会社生活…


失恋真っ最中に就職活動。これがしたいという明確な目標もないままOA機器の販売会社に入社。子供の頃一人で行動することが多く、人との関わりの中で傷つくことを暗に怖がっていた私が営業職についた訳です。社内コンテストでは持ち前の負けじ魂で社内コンテストはいつも上位入賞と優秀でした。夜討ち朝駆け当たり前、目標数字に対する執着心と粘着力、笑わないお客様を笑顔にする泥臭い営業、底力は男性には負けてはおりません。
その後、29歳から女子営業のチームリーダー、新人育成担当、その後社内初の女性営業所長、37歳の時に教育部門に移り10年間人財育成に携わり営業教育、階層別教育等の人財育成の施策づくりに奔走します。そして販売戦略・コンサル部門、女性活躍推進のプロジェクトリーダーとありがたくも先駆的な経験させて頂きました。
今思うに37歳が私のターニングポイントだったように感じます。人が進化していく様を間近で見てサポートする教育の仕事は楽しかったですね。
社内をヨコ歩き(組織横断)し、新人はじめ管理職まで約2000人近い人との交流の中人に対する洞察力は養われました。一方、上司からは鼻持ちならない奴であり、想いが強すぎるあまり周りからは怖い存在だったようです。(笑)
その当時イケイケの販売会社 男性社会、ヒエラルキーの組織で、課長職としてチームづくりを楽しみ、この30年間の会社生活を51歳で卒業します。
この会社生活の間、私が28歳の時父が他界し、40歳の時母が大病、44歳の時今の相棒と出会い結婚。お客様始め多くの方にサポート頂いたと今更ながら感謝の念で一杯です。

独立のきっかけ

ここからはちょっとまじめな話をしましょう。
組織を卒業しようと思った時のこと…

先に書いた私のターニングポイントである37歳。教育部門配属すぐの半年間は社内トレーナー集中養成期間、その中で人間観・仕事観・人生観等々自らの”あり方”と向き合う機会を得ます。 風土・企業文化とは何かを考えるきっかけでした。
当初主に新人・若手教育担当、しかしそれだけでは職場の活性化は望めず、ミドル層・トップ層の管理職教育の必要性を感じ始めました。そして管理職を導入すべく探しまわったコーチングを軸に「チーム力強化研修」を企画し、また経営層に「経営塾」を実施することになります。
私が長くいた企業も人材育成の重要性は頭では分かっているものの後回しになることが多く、刃を研ぐことなく自転車操業をしているような職場環境でした。
実践の中で学びを血肉化し知識を見識まで高める視野の広い人間。自ら課題を見つけ解決できる力、自らを振り返り仕事を楽しみ感じる力を高めること。等々、更に体系的にともに学び合う土壌、人が育つ風土を私は創りたかったのだと思います。
10年間の人材育成の仕事から、47歳の時に営業支援に変わります。
それから5年、大企業のヒエラルキ―の網目の中で息苦しさを感じていなかったかというとウソになります。将来の自分の姿が描けなかったのも正直なところでした。
組織を出て50歳までには自分の力を試したいという想いは潜在的に持っていましたので自分の気持に正直に卒業を決めました。
52歳になろうとしていた時思い切って挑戦に出た訳です。2013年独立。
「ともに生きるチカラを高める」人財育成の仕事をライフワークとする。
「人は無限の可能性を持ち”私はできる”ことを信じ変われるもの」
この言葉を自らが体現することから始まりました。